新井天神/北野神社は、新井薬師公園の北西隣にあります。中野通りによって分断されていますが、嘗ては新井薬師と一体であったと思われます。
新井天神/北野神社、は天満宮として天正・天和(十六世紀)の頃には新井の里の鎮守であったと思われます。豊かな水に恵まれた新井の村は、妙正寺川の水害からの守護を天神様に祈り、すべての食物の御親である保食神に豊作を祈願しました。天神として祀られた菅原道真公は世に優れた学者であり右大臣にまで出世されたことから、後には学問の神として尊崇を集め、学業成就・子の成育・家内安全・家門隆盛・事業繁栄・工事安全・交通安全・厄除など祈願する人が多くなったようです。
鳥居をくぐると、左手に手水舎があり、その奥に本宮があります。
手水舎の隣に「撫で牛」が鎮座しています。牛は天神様のお使いです。新井天神/北野神社の「撫で牛」の説明には、「自分の悪い所(良くなりたい所)を撫でて下さい」と書いてありますので、お賽銭を奉納したら、撫でてみてください。
境内社として、稲荷神社があり、境内末社もあります。
境内には、「力石」があります。力石の起源を「石占」に求める説があります。「石占」とは、神社・寺院に置かれた特定の石を持ち上げて重いと感じるか軽いと感じるかによって吉凶や願い事の成就を占うもので、元々占いのために持ち上げていたものが、娯楽や鍛錬のための力試しになったというのがこの説です。江戸時代から明治時代にかけては、「力石」を用いた力試しが日本全国の村や町でごく普通に行われていました。個人が体を鍛えるために行ったり、集団で互いの力を競いあったりしました。神社の祭りで出し物の一つとして力試しがなされることもあったようです。中野区内では、沼袋氷川神社や鷺宮八幡神社の境内にも「力石」が見られます。
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