歴史
元々の破壊される前の庚申塔には『宝永五戊子十月吉日』と刻まれていたそうです。
宝永五とは宝永5年のことで1708年ですので、江戸時代中期に作られたようです。戊子(つちのえね・ぼし)は干支の一つです。
奉られた場所は過去に数回は替わっているようで、戦前は現在の場所から南に70mほどの所にあったようです。
庚申塔は街道沿いに奉られ、特に街道が交わる所に奉られることが多いので、昔は山手通りの旧道にあたる道と成木・青梅街道の旧道はその辺りにあったのだと思われます。(要調査)
近くには宝仙寺の飛び地の塔山公園と呼ばれる広場があり(もともとはこの一帯も宝仙寺の境内だに含まれていたという史料もあります)三重塔がありました(もしかしたら近くではなくその敷地内に奉られていたかもしれない)。塔山という地名はそこからきています。今この公園の敷地は中野区立第十中学校になっています。
昭和20年の太平洋戦争時の爆撃で、三重塔とともに破壊されてしまいましたが、戦後に地元の人々が崩れ落ちた石片を集めてセメントで固め改めて奉り、その時に今の第十中学校の脇に移設しお堂を建てました。この修復により石の棒のような形になったことから地域の方々からは「石棒さま」と呼ばれています。
地域の方々からは大変愛され大切にされているようで、いつも綺麗に掃除されおりお供え物が絶えません。
戦前の中野町史よると、戦前の元々の姿は彫像は青面金剛(しょうめんこんごう)、笠付円筒型で『宝永五戊子十月吉日 奉供養庚申講為二世安楽』と刻まれいたそうです。
現地の様子
【お堂の内部】
非常にきれいに保たれています。
ご近所の方々から大変愛され大切にされているようです。
【庚申塔】
ボロボロにされたものを修復した跡がわかります。空襲がどれだけ凄まじかったのかが伝わってきます。
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