本寺は萬治元年、泉光山と号し、本門寺14世日優上人によって小石川関口台に開基された。寺伝によると、徳川三代将軍家光の側室で阿楽の方が出産に悩み、諸寺に祈願したが、そのききめがなかった。そんな時、阿楽の方の母、泉光院増山氏は日優上人の大徳なるを開き、日優上人に祈願を願い、それにより阿楽の方は安産することができた。この時生まれた子供が、後の四代将軍家綱である。このこと以来、阿楽の方や泉光院は日優上人に帰依し、本寺を建立した。こうした関係で本寺には泉光院増山氏をはじめ増山家累代の墓がある。
明治41年に小石川関口台より移転し、現在に至っている。なお、現在の山門にかかげられている「泉光山」の額は細井広沢の筆になるもので、広く知られている。
※中野のお寺 ふれあい広場HPより抜粋
山門をくぐると、参道は、大小の樹木に覆われ、緑豊かな森のようです。右手に池があり、入り口の門から境内に入ります。左から有縁殿、本堂、玄関、庫裡、客殿と連なり、墓所はその奥です。都会の喧騒をよそに小鳥の囀りが聞こえる、心が安らぐお寺です。
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