沿革:中世のはじめ、江古田の本村に鎮座されていた御嶽神社の氏子・二郎左衛門(堀野氏)が武州御嶽神社の社僧、源教上人の教化を受け神社の南麓に堂舎を建て、弘法大師作と伝えられる一本彫の立身不動明王を本尊として安置し、金峯山世尊院東福寺の寺号を贈られた。江戸時代には三代将軍家光公が狩猟の折り本寺で休息し、八代将軍吉宗公は御膳所に指定していた。承応年間に改築した本堂内陣左側の客殿は、将軍御成間と言われ一段高い座席になっていたが現在は解体され、その後記念碑が建てられている。御獄神社の社僧から伝授された獅子舞は、江戸から大正の頃まで境内で演舞されていて、後に完成した鐘楼の鐘に江古田獅子舞の四神の図が刻されている。※東福寺HPより抜粋。
山門をくぐって左手に、六体のお地蔵様が鎮座しています。進んで行くと、左手に、鐘楼堂が一段高いところにあります。本堂以外に、不動堂、観音堂、そして、隣には、金の峰幼稚園があり、元気な園児の声が聞こえています。
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