庚申塚(こうしんづか)は、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。庚申は十干の「庚(かのえ)」、十二支の「申(さる)」が組み合わさった57番目の干支です。
※干支の組合せは、60組あります。
庚申の組み合わせは、暦に使われていますから、庚申の年、庚申の月、庚申の日、庚申の時刻というものが存在します。そして庚申塚といわれる供養塔はそのほとんどが庚申の年に建てられているようです。庚申の年は60年に一度あり、最近では1980年(昭和55年)が庚申の年でした。
庚申信仰は、中国の道教で説く三尸(さんし)説を母体としています。
人の体内には「三尸(さんし)」という虫がおり、庚申の日の夜、その人が熟睡している間に天に上って、閻魔様さまの部下である「司命」に善悪の報告をするそうです。大きな罪は300日、小さな罪の場合は3日命が奪われる、とされます。ということは、庚申日ごとに常に徹夜をして眠らなければ、三尸は天に上って司命に人の罪過を告げることができません。ですから、「庚申の晩には身を謹んで夜明かしをすれば長生きをすることができる」ことを信仰し、それを実践することが、「庚申信仰」です。
一本松の庚申塚は、明和年間(1764~1771年)に雑色村(現在の南台地域の旧村名)の人たちが共同で庚申塔と地蔵尊を祀ったことに始まると言われています。昔話では、この庚申塚の脇には一本松があり、触るとたたりがあると考えられていたようです。
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