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不思議稲荷!?

2011年5月31日 火曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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1300年に渡って人々の信仰を集め続ける「お稲荷さん」。全国に6万社はあると言われている稲荷神社は、全国各地で親しまれています。稲荷神を祀る神社を稲荷神社と呼びますが、京都伏見区にあるここ伏見稲荷大社が総本宮です。稲荷を「稲生」「稲成」と表記する神社もあるようです。朱色の鳥居と白いがシンボルの稲荷神社は、ここ伏見稲荷大社から勧請され全国の稲荷神社に祀られています。伏見稲荷大社では、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ、倉稲魂命とも書く)、を主祭神として、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)とともに五柱の神として祀るが、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化されています。さて、参道を歩くと目に飛び込んできたのは、鮮やかな朱色の鳥居です。

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手水舎も鮮やかな朱色です。

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楼門、本殿も当然朱色。

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伏見稲荷大社には、想像を絶する数の鳥居があります。その数なんと約1万基。願い事が「通る」或いは「通った」御礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が江戸時代以降に広がった結果、このような膨大な数となったようです。しばらくその鳥居をご覧ください。

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SN3I0963朱色は、魔力に対抗する色ともされ、神社仏閣に多く用いられています。伏見稲荷大社に限って云えば、稲荷大神様のお力の豊穣を表す色と説明されています。

千本鳥居というところを抜けると、一般には「奥の院」の名で知られている「奥社奉拝所」があります。ここ奥社奉拝所はお山を遥拝するところです。稲荷山三ケ峰はちょうどこの社殿の背後に位置しています。
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SN3I0966この奥社奉拝所に「伏見稲荷大社参拝図」がありました。よく見ると御本殿より稲荷山御神蹟巡拝するお山めぐり4km約2時間とあります。あるいてネット編集長としては、当然巡拝するところですが、この日は午前から色々な場所を歩いてきたため、時間的に無理と判断し、引き返しました。(無念)

稲荷神は、元来農耕神ですが、今日では五穀豊穰・商売繁昌・殖産興業・交通安全など幅広いご利益があるとされ、ここ伏見稲荷大社には年間1000万人以上が参拝に訪れます。私も初めて参拝し仲間入りを果たしました。

最後に午前中に回ったところの写真を記載しますね。最初は、世界遺産の「宇治上神社」です。

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最後は、修学旅行でおなじみの世界遺産宇治の「平等院」です。

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おタカさん!?

2011年5月13日 金曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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滋賀県に古くから、おタカさんと呼ばれ親しまれている神社があります。おタカさんというと私はどうしても元社民党党首土井たか子さんを思い浮かべてしまうのですが、滋賀県では、「多賀大社」をおタカさんと呼んで信仰しています。御祭神は、「伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)」と「伊邪那美大神(ザナミノオオカミ)」日本最古の書物「古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられたとのこと。このように、命の親神様であることから、延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集めています。

SN3I0899近江鉄道「多賀大社前」駅を降りると左手に大きな鳥居が見えます。ここが多賀大社の入口です。※近江鉄道は1時間に1本しかありません。時刻表で良く調べてから参拝に行きましょう。待ち時間ができると、周りに何も無いので退屈です。

一般道を徒歩で約10分ほど歩いてゆくと、左手に参道の入口があります。

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鳥居をくぐると、「太閤橋」と呼ばれる太鼓の形をした橋が架かっています。この橋は、太閤秀吉が母大政所の病気平癒をお祈りした際に奉納、築造されたと伝えられています。

SN3I0905私も渡ってみましたが、登りは何とかできるものの、下りは滑って、降りるのが大変でした。

境内に入ると左手に手水舎があり、正面に本殿が見えてきます。

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本殿に向かって右手には、臨時の授与所があり、巫女さんが授与品を並べて待っていらっしゃいます。

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本殿・拝殿は歴史を感じさせます。右手には能舞殿があり、太閤秀吉の影響が見受けられます。

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境内を散策すると「神馬舎」が、さらにその手前には、国歌「君が代」に出てくる“さざれ石”があり、その由来が記載されています。

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「多賀大社前」駅から多賀大社への表参道は、「絵馬通り」と呼ばれています。町の家々に「笑門」と書かれた絵馬が玄関に飾られていました。ちょっと不思議な光景です。

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多賀大社の授与品は、「お多賀杓子(しゃもじ)」が有名です。このお多賀杓子でご飯をよそうと延命のご利益があるそうです。また、しゃくし型の絵馬もあり、境内には願いが書かれた絵馬が多数掛けられていました。お多賀杓子は、「おたまじゃくし」の語源となったとも言われています。

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<養老の昔 時の天皇がご病気のとき ご平癒のご祈願を申し上げ 強飯をたき 神木で杓子をつくりこれに添えて差し上げましたところ みしるしあらたかに まもなく御回復になられました このめでたい故事をゆかりとして 無病息災延命長寿をねがうお多賀まいりの人たちだれもが お食事毎に尊い御神徳をお受けになっています (袋裏の説明より)>

せっかく多賀大社に来たのですから、ついでに彦根により、広大な琵琶湖と「ひこにゃん」を見て帰りました。

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腰を捻って、オオ!イタッ!ケン!?

2011年5月12日 木曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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GW前に腰を捻って軽いギックリ腰になってしまいました。全国に数々ある神社の総本宮を巡る旅を計画していた身にとって一大事です。何とか歩ける状態になりましたが、苦行の神社巡りとなりました。

最初に目指したのは、大分県にある「宇佐神宮」です。宇佐神宮は全国に4万社あまりある八幡様の総本宮です。大分市に宿をとり、JR日豊線で宇佐駅をで下車し、そこからバスに乗り換え「宇佐八幡バス停」で下車するのですが、何といってもローカル線。1時間に2本くらいしか特急がありません。大分駅で特急に乗ったものの列車内の特急券・乗車券を確認にきた乗務員の方によると、この特急は宇佐には停車しないとのこと。どうしたらよいか尋ねると、「中津駅」で乗り換えてくださいとの返事。つまり中津駅から大分方面に戻れとおっしゃる。仕方なくそのようにしましたが、ここで結局約1時間のロス。宇佐駅では、うまいことバスに乗り換えられましたが、朝9時にホテルを出たのに宇佐神宮に着いたのは、11時30分近くになっていました。

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晴天の下、朱色の見事な大鳥居が入口に見えてきました。

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手水舎も朱色に塗られています。

八幡信仰とは、応神天皇のご聖徳を八幡神として称え奉るとともに、仏教文化と、我が国固有の神道を習合したものとも考えられています。その長い信仰の歴史は宇佐神宮の神事や祭会、建造物、宝物などにも見ることができます。美しい本殿は国宝に指定されており、総本宮にふさわしい威容を誇っています。

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総本宮、上宮の入口の鳥居も、これまた見事な朱色です。

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いよいよ、上宮に入ります。ここの入口も鮮やかな朱色です。朱色は、歴史的に高貴さの象徴であったとされていますので、高貴な方を祀っている神社などの建築物に用いられているようです。

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一般的に神社の参拝方法は、「二礼二拍手一拝」ですが、ここ宇佐神宮では、「二礼四拍手一拝」となっています。さらに片参りにならないように、上宮・下宮ともに参拝するのが習わしとなっています。さらに、参拝は、左の一之御殿、中央の二之御殿、右の三之御殿と、順にお参りします。

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三ヶ所をお参りするのは大変です。お賽銭は多めに準備しましょう。

SN3I0879下宮に行く途中には、若宮神社があります。

下宮の入口にある鳥居です。

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こちらも、上宮と同様に左の一之御殿、中央の二之御殿、右の三之御殿と、順にお参りします。

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上宮・下宮の参拝を済ませ、広大な境内を歩くと、朱色ではない鳥居のある神社を発見。この神社は「八坂神社」といい、須佐之男命(スサノオノミコト)をお祀りしています。古くからこの地にある宇佐神宮には、このような旧蹟が沢山あるようでした。(境内が広すぎてすべてを見ることは断念いたしました)

13時近くになってしまいましたので、参道にある土産物屋兼食堂に入り昼食。メニューには大分名物だんご汁定食やとり天定食などがありました。私は店主らしきおばあちゃんのお薦めで「とり天丼」を食しました。※写真はありませんが、結構なボリュームで800円でした。

帰りバスの時間確認しておきましたので、13時40分のバス乗って宇佐駅に戻りました。が、ここでもバスと列車が連動していなくて、40分待ち。(涙)無駄な時間を過ごしてしまいました。

冒頭で述べましたが、経度のギックリ腰の私は、腰の治療のために湯の町別府に向かいました。ここ別府といえば、多数存在する様々な奇観を呈する自然湧出の源泉「地獄」。地獄を見て腰が良くなるとは思ってはいませんでしたが、とりあえず観光気分を満喫したGW前半でした。SN3I0887SN3I0890SN3I0889

左から、坊主地獄・海地獄・地の池地獄


中野さくら祭は中止になりましたが・・・・

2011年4月7日 木曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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謹んで、東日本大震災で亡くなられた方々の

ご冥福をお祈り申し上げますとともに、

被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

被災地の一日も早い復興を祈念いたします。

私たちあるいてネット編集部といたしましても、

被災地の皆様のお役にたてるように、

一人一人が考えて支援・行動して参ります。

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さて、中野さくら祭は中止となりましたが、中野通りの桜は満開です。

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新井五差路にある、まちかど庭園「さくらの辻」付近から

中野通りを見るとキレイな桜のトンネルが。

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北野神社には、出店も出ています。

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新井薬師公園は、毎年大勢の花見客で賑わっていますが、

今年は自粛ムードのせいか、いつもの年より人手が少ないようです。

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こちらも出店は出ているのですが、活気はイマイチです。

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新井薬師・梅照院境内の桜も、今が見ごろ。

散歩の足を伸ばして、お花見はいかがでしょうか。

明日という日が、読んで字のごとく、明るい日になりますよ!


中野から京都まで その5~賀茂別雷神社(上賀茂神社)

2011年2月16日 水曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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京都観光は、京都観光一日乗車券が便利です。(バスも地下鉄も乗れて1200円です)建勲神社から上賀茂神社へのルートをバス停で確認すると、出町柳まで行って上賀茂神社行きに乗り換えるのがいいようです。出町柳は、京阪電鉄の駅で、下賀茂神社の最寄り駅です。地図で確認すると下賀茂神社から上賀茂神社までは、建勲神社で階段登りをした身体で歩ける距離ではありません。よって、バスで移動。12時30分を少し回っていましたが、昼食を後回しにしてバスに揺られ上賀茂神社を目指します。出町柳までは、渋滞もなくバスは進みました。ここで乗り換えですが、上賀茂神社行きは13時30分までありません。ここで約30分待ちです。昼食をどこかでと思いましたが、地理不案内の私にとってお店を探すのが難しい。仕方なくバス停で上賀茂神社行きのバスを待ちます。バス停で立っていると、観光客の人が、「大原行きは、このバス停でいいですか?」などと私に聞いてきます。「私は、東京中野区から来たので、わかりません。」と堂々と答えておきました。約30分待って、ようやく上賀茂神社行きのバスに乗車。ところがこのバス、上賀茂神社に行くまで、右に左に曲がります。上賀茂神社到着は、何と14時15分頃となってしまいました。すぐに昼食をと思い入ったお店が、「みそぎ茶屋」。良い響きです。昼食食べて、みそぎです。ちなみに昼食は、玉子丼でした。

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みそぎを済ませて、一の鳥居をくぐります。一の鳥居から約30メートルほどで二の鳥居です。

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二の鳥居の右手に「第四十二回式年遷宮(しきねんせんぐう)」と書いてある大きな石塔があります。式年遷宮とは、本殿が従前とは異なる境内に新築移転したり、同じ境内で別の位置に新築移転したりする際のほか、本殿の修理や新築の際に一時的に神体を移動する場合にも遷宮といいます。大抵は祭礼を伴っています。このような定期的な遷宮を式年遷宮と言い、この「式年」とは「定められた年」という意味で、単に「式年遷宮」という時、伊勢神宮の「神宮式年遷宮」を指すようです。上賀茂神社は、正式には「賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)」といい、平安京の守り神として、平安時代以前より京都・洛北に鎮座している我が国最古の神社の一つです。式年遷宮の制度が、ここ上賀茂神社にもあるとは知りませんでした。式年遷宮は、遥か壱千年の昔より神社の社殿等を永遠に保つシステムを構築された先人の叡智です。先人から受け継いでいる国宝・重要文化財建造物並びに平安時代から続く諸祭事といった我が国の伝統文化を後世に継承する使命を全う出来るのも、式年遷宮という制度があるからでしょう。二の鳥居をくぐると、境内のあちらこちらにシートが架けられ、社殿等の修復の最中でした。本殿に行く際に通る橋も修復中です。

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よって、一旦戻って本殿前の狭い道を通って中に入ります。本殿の中も各所にシートが架けられているため、中がよく見えません。参拝を済ませて帰路につきます。帰路は、当然バスです。京都駅行きに乗るのが良かったのでしょうが、先に来た祇園行きのバスに乗り込みました。今度はあまり左右に曲がらずに祇園方面に向かっているようです。ふと、窓から外を見ると、午前中に参拝した今宮神社が右手に見えてきました。ふう~ん、こんなルートで祇園に着くのか、と思っていると、またしてもバスは、左に曲がり、右に曲がります。どうも京都は、碁盤の目のように道が整備されていますので、真直ぐ目的地には行かないようです。道も渋滞し始め、バスの車内も混雑してきました。とうとう川原町付近では、バスは少しづつしか動かなくなってしまったので、川原町の手前で下車、烏丸御池駅で京都地下鉄に乗り、ホテルに戻りました。この日も脹脛は、建勲神社の階段登りでパンパン。ホテルにもどるとすぐに、サウナ風呂に入り、ゆっくり風呂に浸かって終了。夜の京都観光はできませんでした。よって京都の恋は、・・・・ありませんでした。

中野から京都まで、神社を追って、今日も疲れ一人寝る。


中野から京都まで その4~建勲神社

2011年2月16日 水曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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今宮神社を後にして、歩いて建勲(たけいさお)神社を目指します。建勲神社は、一般的には建勲(けんくん)神社と呼ばれ親しまれています。建勲神社は、船岡山という山の中に鎮座しています。船岡山は平安京の北の基点であり、四神の中の玄武を象徴する山です。その山の中腹に位置する建勲神社は、織田信長公をを主祭神とし、その子織田信忠公を配祀している、国家安泰・難局突破・大願成就の神社です。入口に立つと堂々とした鳥居が迎えてくれました。

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鳥居をくぐると、境内の案内図があります。

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何やら迂回路を表字しているような案内図です。いや~な予感。案内図を頭に入れ本殿に向かって歩きます。

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いきなり階段です。その先には、「太平和敬神」の石碑。この石碑は、旧本殿跡に建てられたとのこと。

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旧本殿跡ということは、この上に現在の本殿があるということ?境内を進むと、またしても階段。しかも先ほどよりもさらに急で長い・・・・。

あぶり餅を片方のお店でしか食べなかったせいなのか!またしても苦難の道が待っていました。

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きつ~い階段をようやく上り詰めると(帰りにこの階段を降りることを思うと、膝痛が持病の身としては辛い)左手に織田信長公が、桶狭間の戦い出陣の前に舞われた「敦盛」の一説が石碑としてありました。

<人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしの如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか>

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その先にようやく本殿が見えてきました。

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しかしながら、またしても階段が。本殿にたどり着くまで何段登ってきたのか不明ですが、脹脛は、パンパンになりました。参拝をようやく済ませ、お守りをゲットしようと思いあたりを見回しましたが、社務所はありますが、巫女さんの姿がありません。あきらめて、次の目的地へと下山を開始しました。あの急階段を降りると思うと気持ちが萎えます。が、本殿前の案内図を凝視すると、北参道のルートがあることを発見。北参道には、階段がほとんどありません。ホッとして、ゆっくりと建勲神社を後にしました。


中野から京都まで その3~高桐院

2011年2月16日 水曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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大徳寺の境内には、様々な塔頭(たっちゅう)寺院があります。そのひとつの高桐院(こうとういん)に立寄りました。

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高桐院の開基は、細川忠興公です。開山は、忠興公の父の弟(叔父)細川藤孝公。1602年に創建され、細川家の菩提寺として代々庇護されてきました。戦国時代に知将として名を馳せていた細川忠興公は、茶人としては、利休七哲の一人です。さっそく中に入ってゆくと、竹林の庭園があります。

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さすが、茶人というか、ワビサビというか・・・・。中の本堂庭園には忠興公とガラシャ夫人の墓塔となっている春日灯籠があるそうなので、無料の拝観と思い中へ中へと入ってゆくと拝観料400円の文字が・・・・。拝観料=志納と迷いましたが、私には、ワビサビなど理解不能と思いUターン。次の目的地へ向かいました。

 


中野から京都まで その2~今宮神社

2011年2月15日 火曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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大徳寺の境内を抜けると、今宮神社があります。

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今宮神社は、本社には大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、疫神社には素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀っていて紫野神社とも言われています。正暦5年(994)平安京で疫病が流行り、これを鎮めるため御霊会がおこなわれ、船岡山に創建された疫病鎮護の神社が起こりと伝えられ、疫神を鎮める神社として信仰を集めました。その後、今の地に移り、今宮神社となりました。社殿の多くは明治時代の再建です。また、今宮神社の別名は「玉の輿神社」。その由来は、京都西陣の身分の低い八百屋の娘として産まれたお玉が、徳川三代将軍家光公に見初められ、側室となり、五代将軍綱吉を産み、その後、将軍の生母桂昌院として大奥で権勢をふるい、従一位の高位にまで昇り詰めた事から「玉の輿」の言葉が生れ、そのことが、玉の輿神社と呼ばれる由縁と言われています。

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この日も、玉の輿を狙っている(?)女性が数多く参拝に来ていらっしゃいました。私もある女性のために「玉の輿守」をお土産として購入いたしました。※巫女さんの衣装といえば、白衣と緋袴が定番ですが、ここ今宮神社の巫女さんは、柔道着のような上下生成りの衣装を着ていらっしゃいました。

今宮神社の参道の両側に名物「あぶり餅」を売っているお店があります。向かって右側が「いち和」。左側が「かざりや」。両方のお店から賑やかに客引きの声が掛かります。「あぶり餅、どうどす~」。私は、何故か「かざりや」さんに入りました。このあぶり餅は、厄除けご利益があるという謂れがあります。きな粉、白味噌と砂糖を合わせたたれ。搗きたてのお餅を親指くらいの大きさにちぎり、それにきな粉をまぶし、細く切った二又の青竹に縫うように差します。それを炭火で軽く焦げ目がつくほど炙ったら、白味噌のたれにどぶんと浸して出来上がり。お茶と一緒にいただきました。少し甘めの小さな味噌だれのお餅といった感じですか。前日食べた八坂神社の振る舞い餅の方がおいしかった気がします。まッ、気は心。ご利益があると信じましょう。

あぶり餅

かざりやは「本家」、いち和は「元祖」と名乗っています。両方のお店からは、元気な客引きの声に混じり、お互いに冗談を言いながら焼くお餅の香ばしい匂いが食欲をそそります。両店とも当然老舗(いち和の方が古いそうです)なのですが、仲が良いかは聞く事ができませんでした。この後、片方の「かざりや」にしか入らなかった私に、苦難の道が待ち受けていました。


中野から京都まで その1~大徳寺

2011年2月15日 火曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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京都神社探訪の初日は、おみくじ落とすやら地理不案内で歩き疲れるやらで大変だったので、二日目は事前リサーチを入念に行い朝9時にホテルを出発。京都市営地下鉄・京都市営バスなどが一日乗り放題の京都観光一日乗車券(1200円※京都の交通機関は東京に較べて高いのでお得です)を購入し、地下鉄から市バス経由で大徳寺を目指しました。大徳寺前という親切なバス停で降りると広大な敷地が見えます。

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門前には、朝早いにも関わらず、大徳寺納豆なる納豆を販売しているお店が軒を連ね、すでに開店していました。この大徳寺納豆は、納豆ではあるが、一般的な納豆のような「粘り気があり、糸を引くような納豆」とは異なるらしく、風味は味噌やに近いらしい。少し興味が湧きましたが、そのまま境内に入ることに。大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で京都でも有数の規模の禅宗寺院で、境内には仏殿・法堂(はっとう)を始めとする伽藍の他、20を超える塔頭(たっちゅう※本山寺院の境内周辺にある関連寺院)が立ち並び、近世の雰囲気を残しています。大徳寺は歴代多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院です。境内を散策していると「総見院」という塔頭寺院が見えてきました。この総見院は、豊臣秀吉が織田信長の菩提のために建立したものだそうで、早速中を見学しようと思いましたが、あいにくこの日は、午後から拝観が可能との張り紙が。しかし、京都観光タクシーを利用した方がタクシーの運転手とともに中に入っていくのを発見。こそっと一緒に着いていきました。

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観光タクシーの運転手は、入り口に「今日の拝観は、午後12時30分からとなります。」の張り紙もお構いなしに中へと入っていきます。そして、驚いたことに中の方に声を掛けているではありませんか。運転手「今日休みなの?」、中の女性「今日は法事やから午後からの拝観になります」との返事。運転手「なら、しゃーないなァ」。えッ法事!この言葉にびっくり。何とこの総見院には、檀家さんもいて葬儀や法事などを執り行っているようなのです。さらに、よく中を見ると普通の民家があります。洗濯機が表にあり、ここ総見院の中で生活している様子がわかります。奈良の古いお寺には檀家さんはいませんが、ここ京都では、檀家さんがいらっしゃって、いまでも歴史的に貴重な(中には、重要文化財も多数あり)お寺で暮らしているなど想像もしていませんでした。拝観料をとって、自宅(お寺)を観光に訪れた人に見学させいることになります。これには、驚き以外の何物でもありませんでした。当然、ここ総見院には、織田信長公を供養するお墓もあるようでした。京都恐るべし。

 

 

 

 


なのに、あなたは京都にいくの!?その4~東本願寺

2011年2月14日 月曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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重くなった足を引きずり、ホテルの部屋に戻ったのが、午後3時過ぎ。休憩と思っていたら、思わず一時間のお昼寝になってしまいました。折角京都に来たのだから、太陽が沈むまでにどこかへと地図を広げると「東本願寺」が目に飛び込んできました。確か今年は、親鸞聖人七百五十回御遠忌のはず、と疲れた足に鞭打って東本願寺へ出かけました。

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山門を入ると目に飛び込んできたのは「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌厳修」まであと36日の看板。

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本堂は、改修工事が急ピッチで進められており、高所作業車が飛び交っていました。

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東本願寺のHPによると、

御遠忌(ごえんき)とは、もともと、50年ごとにお勤めされる宗祖の回忌法要のことです。東本願寺では、宗祖親鸞聖人に加え、特に近年から、中興の祖とされる第八代・蓮如上人の法要を御遠忌としてお勤めしてまいりました。これら御遠忌を節目として、宗祖の教えや先達の願いに立ち返り、いま一度自らの生き方、生活の有様を見つめなおし、あらためて本願念仏の教えを受けとめるあゆみをすすめてまいりました。特に、このたびは、「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということを基本理念に掲げ、様々な取り組みを進めてきています。と記載されています。

東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まりです。私は、この東本願寺が今日一日の終わりとなりました。


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